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たてやま 戦争遺跡ダイジェスト
8.「一二八高地」 抵抗拠点
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「一二八高地」 抵抗拠点 |
1944(昭和19)年7月20日に「本土沿岸築城実施要綱」が発令されると、館山湾からの敵上陸を阻止することを目的に、沿岸の中でおもな抵抗拠点には骨幹的な陣地や塹壕を建設したり、戦略的な拠点には、砲台の建設をした。
そのなかで抵抗拠点のひとつとして建設された施設が、想定された本土決戦の作戦命令では「一二八高地」と記載されている場所にある地下壕である。現在、館山市大賀の小高い山の中腹にある地下壕の内部には、コンクリート製の額に「戦闘指揮所」「作戦室」の文字が浮き彫りにされている。
額の中には「昭和19年12月竣工」「中島分隊」と記載され、地下壕建設にあたり「洲ノ空」の中島分隊が関わっていることや、本土決戦の作戦命令が出た1944年12月に完成したことがわかる。また、「作戦室」地下壕の隣りにある小部屋の天井には、約3メートル四方に渡ってコンクリートで制作された力強い姿の龍のレリーフがある。本土決戦を前に、部屋の天井に表現された飛龍のレリーフは、どんな意図が隠されているのであろうか。
1945年に入り、戦局が逼迫すると「洲ノ空」では防空壕掘りが多くなり、なかでも「館空」基地の誘導路整備作業や、特攻機の掩体建設に追われたという。「館空」や「洲ノ空」の軍事施設に対する空襲は激しくなり、本土決戦を前に特攻作戦で使用する兵器の保守点検ができる整備兵や専門技術者の養成は急務であった。「洲ノ空」の施設設備を存続させるために、各班ごとに部隊を館山周辺地域に分散させたのである。
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戦闘指揮所跡
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作戦室跡
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