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たてやま 戦争遺跡ダイジェスト
6.戦闘機用掩体壕
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敵機から零戦を隠す |
赤山からほど近い畑と住宅の間の空き地に違和感のある不思議な形のコンクリート製建造物がある。これは戦闘機を1機ずつ収めた施設で、爆弾に耐えうるように作られ、掩体(えんたい)と呼ばれていた。当時、学生や住民、兵士たちによって赤山周辺だけでも10数ヶ所の掩体壕が作られたというが、現在残っているのはここ1ヶ所のみである。全国に残る掩体壕が平地にカマボコ型で作られているのと異なり、土地の段丘を利用している点が館山の掩体壕の特長である。さらに屋根部分は土が盛られ、草が生えているため、上空の敵機からは見つかりにくい形状をしている。
この掩体壕からつながる誘導路から、小さな豊津川を越えたところにあった滑走路へと戦闘機を引き出し、飛行させていた。
掩体壕の作り方は、土マンジュウを盛った上に木材等の資材で覆って形を整え、その上にコンクリートを流し、固まった後に土マンジュウを崩し除くという方法であった。中の天井を見上げると、はがし損ねた木材を見ることができる。
初期の頃の掩体壕は天井部分がなく、左右と後方を覆った簡単な土塁のみであったが、戦争が進み航空戦が激しくなるにつれ、現在残っているような形状へと変化した。両方合わせると、設置されていた掩体壕は40ヶ所を超えている。
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掩体壕
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