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たてやま 戦争遺跡ダイジェスト
2.米軍本土初上陸地点
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4日間の直接支配、ここから戦後の日本が始まった |
東京湾口に位置する房総半島南端の館山は、戦略上の最重要地点であったため、連合軍は本土決戦の上陸地として想定しただけでなく、敗戦後アメリカ占領軍の上陸地点となった。戦後のスタートをきった舞台は、今も残る館山海軍航空隊水上班滑走台跡であった。
1945(昭和20)年9月2日、東京湾上の戦艦ミズーリ号において、降伏文書調印式が行われた。そして、翌日の3日の午前9時20分に、カニンガム准将に率いられた米陸軍第8軍第11軍団の3500名が上陸用舟艇を使って、「館空」水上班滑走台に上陸してきた。現在その上陸地点は一部造船所として使われているが、当時のコンクリート製滑走台跡が鮮やかに残っている。
館山の占領軍は、東京湾対岸の横浜から上陸した部隊とともに、首都制圧のために挟み撃ち作戦を決行した。上陸直後では、軍人や市民たちの妨害を警戒した占領軍は、館山で「4日間」ではあるが、本土で唯一の「直接軍政」を指示したといわれる。「館空」基地から、戦後日本の占領政策がスタートしたことは意外に知られていない。
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下:現在の「上陸地点」
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