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たてやま 戦争遺跡ダイジェスト
7.洲ノ崎海軍航空隊 射撃場跡
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全国唯一、兵器整備訓練の航空隊 “洲ノ空”(すのくう) |
「館空」に隣接して、通称「洲ノ空」と呼ばれる施設があった。正式名を洲ノ埼海軍航空隊といい、全国でただひとつの兵器整備練習航空隊で、操縦以外の航空機にかかわる専門技術を学ぶ養成機関であった。
「洲ノ空」を急遽開隊した理由は、当時米軍の航空兵器が高性能となり、戦地からはそれに対抗する航空兵器の開発や改良が求められていた。そのため兵器開発の技術者ばかりでなく、高度になってきた航空兵器を管理・整備する兵士の養成や訓練が急務であったので、指導教官には戦地から実戦経験者を招いた。専門分野は射爆・無線・写真・光学・電探・雷爆などに分けられ、全国や戦地から多いときに1万数千名が「洲ノ空」に集まったといわれる。
その「洲ノ空」の施設・設備をみると、練兵場を中心に本部庁舎・兵舎や講堂がおもな建物で、戦闘機用機銃の射撃場や練習機・教材飛行機の格納庫をはじめ、木工鉄工作場・道場・士官宿舎・酒保・ボイラー・烹水所・倉庫・浴場・神社・相撲場などさまざまな施設で構成され、一部はコンクリート塀などで囲まれていた。
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新兵教育の日々
新兵教育は2ヶ月間にわたり、教練から陸上戦闘まで平砂浦演習場で訓練を受け、1日おきに水泳訓練・体操・手旗・軍歌演習があり、国語や数学・訓学などの学科も学んでいた。
兵器整備練習航空隊普通科の射爆兵器班の教育訓練をみると、戦闘機攻撃用7.7ミリ機銃と20ミリ機銃の分解結合、13ミリ機銃の取扱、カム調整、装填射撃の方法、爆弾の構造、模擬爆弾による爆装投下、毒ガス兵器、実験解毒、弾道爆弾の落下速度、航空写真機、無線モールス信号などを履修していた。
兵士にとって楽しみな食事は、食器に平盛りされた麦飯で、副菜はラッキョウの漬物やニンジンの葉のみそ汁、海水のようなスマシ汁であった。
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中心から左に5つの射撃用の的がある。
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