推命占佳
“母さん”と小さく呼んでみる。テレビ寺子屋「俵 萌子」さん
パソコンがやっと直ってまたまた、メールの再開です。
文章を書くのはそんなに嫌いではないので何かが自分に付いていて勝手に文章を書かせます。
そういえば、先日誕生日で46歳になりましたが、10歳の時からずっと日記を付けていますから、かれこれ36年日記になりますか。途中何となく書かなくなって数年途切れた時もあるのですが、また書きたくなり今も簡単で短くはなったものの書いていますね。
多分、「土」が自分はたくさんあるので、意外と粘りがあるというか、興味のあるものや、これはと思うとずっと続ける習性?があるようです。
養命酒暦も20歳から26年毎日続けてますし、散髪屋さんも22歳からずっと通ってますし、気にいると本当に長い〜長い〜付き合いになってしまいます。
さて、今日は、土曜日の朝5時からやってるフジテレビの「テレビ寺小屋」をたまに見るのですが、今日も何となく見ていました。
今日のゲストは「俵 萌子さん」いつも多彩なゲストでとても興味深い話をしてもらえます。俵さんもたまにゲストで出演しています。
テーマは「母」でした。途中から見たので始めはよくわからなかったのですが、そんなものなんかなあーと思う内容です。
俵さんの赤木山の美術館2階に「母親」のコーナーがあるのだそうです。最近、母親が晩年にとても凝っていたお茶会を俵さんも開いたらしいです。
元々、母は嫌いで、父は大好きな人でした。父は異性で、甘さや優しさがあるのでいつも父を慕っているような子供だったようです。
女の子にとっては母はライバルであり、大変に見方が厳しいのであまり好きではなかったのです。また、考え方も「立身出世」が口癖だったようでそこも嫌いでした。
ところが、父が亡くなり、母が長く未亡人となりその母もとうとう亡くなった時、始めて気がつく事がたくさんあったと言います。
母の形見で、幾つかもらった中に母親の晩年着ていた着物があるのですが、それを仕立て直しして俵さんが着た時、ジーンとくるものがあったようで、それ以来、よく着物を着るようになったとか。
そして、本を60冊以上書いているのですが、書き終わると何故か始めに母親に見せるのが習慣になってるのにある日気付き、母親がいつも「良く頑張ったね」と誉めてくれる、その一言が嬉しくて60冊も書いてしまったと言うことです。
ところが母が亡くなってしまうと「この本をはじめに読んでくれる人がいなくなった寂しさ・・・」を痛感したらしく嫌いだった母だったけれども、やはり自分にとってはカケガエのない大切な人と今になって思う。
あの時、もっとやさしい言葉を掛けてあげれば良かった・・・、病院にももっと顔を出してあげれば良かったと今になって思うとの話でした。
母親のありがたみを強く感じるのは女性にとって、子供を産み、育てる時と、母親が亡くなった時だそうで、親の苦労とありがたみをしみじみと感じる。
俵さんのその思いが美術館のある色紙にこう書いています。
★”母さん”と小さく呼んでみる
すると、その色紙をじっと見ているお客様がいつもいて、何人かは涙を流してたたづんでいるのだそうで、ああ私だけではなくて、たくさん同じような思いの人がいるのだなと気付いたとの事でした。
なかなか普段接していると感じないものだけども、俵さんくらいの年齢になるとつくづく親のありがたみが身にしみて感じるのだなと思う話でした。
自分も人の子の母親として同じように子供にも見られているのかな?と思うのだそうです。
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