推命占佳

吉本興業築いた[女今太閤]吉本せい。

通信教育で中伝の試験がきました。
吉本興業を築いた女性で《吉本せい》さんの人生を分析するのが課題にでました。

古い人で明治生まれの人の話です。
この古い時代、女性が起業家としてやってゆくのは今の女社長以上に苦労が絶えないと思います。
しかも、子供を8人も産んで育て、しかも吉本興業を立ちあげたものすごい女性です。

とにかく、昔の人は今の人とはくらべものにならないほどのすごさがあります。

吉本泰三と結婚をし、この夫が芸好きでまともな仕事をさっぱりしない。このため、仕事は傾き生活にも困った。
そこでせいは「あんさん、そなんに芸事が好きやったら、いっそ、芸人さんと一緒に商売しはったらと゛うだす。」その一言から始まった。
一軒の小さい文芸館を買い取りそこからわずかに10年で関西のお笑い会をまとめてしまった。

当時の芸の中心は寄席で、一大勢力が二つほどあり新参者は厳しい経営にさらされる。
そこで、人からみると当時は二流と言われた曲芸、剣舞、安き節などの低俗物を寄席の3分の1の値段で見せた。
ところが、それが当たった。世の中は大正に入り、大衆は新しい芸を観たがっていた。世の中は田舎から都会へ安い賃金で人が集まっていた。高い寄席には一般の人はいけなかった。

せいはよく働いた。夫の参謀、寄席の買収、営業、経理、芸人の管理、従業員の管理総てを一人で受け
持った。
アイデアも出した。安い料金でみせるために、乾き物でお客が喉が乾き、飲物を飲ませる様にし、飲物の値段を高く取った。
雨が降るとお客の履き物が汚れた。それを奇麗に落とした。
芸人が汗をかくと冷たいタオルで背中を拭いた。
美人女将のこの様にサービスが芸人やお客から受けて人気が出た。
また、無言の従業員の教育にもなった。
こうして大衆受けする、安い、おもしろい、しかも細かいサービスとお笑いのチェーン経営をやりだして成功、少しずつ店も増え、「薄利、多売」で世に受けていった。

晩年は夫を早く亡くしてしまい、一人で奮闘するが実の弟を経営に入れた。
この弟がなかなかのやり手で、せいは少しずつ弟に経営を任せて第一線をしりぞき会長になり、黙ってみていた。

芸人の月給制にし、芸人の安定収入もはかった。
しかし、せいは8人の子を産み、5人が早く亡くなった。
また姑のいびりにも苦しんだ。
本人も結核をわずらい、夫にも外に女をかこうようにすすめた。
夫はこの愛人の所で急死した。

吉本興業が爆発的に名を挙げたのは《花菱あちゃこ、横山エンテツ》が出た頃からという。
漫才をはやらせたのは吉本興業の今に繋がっています。

吉本せいが、何故《女今太閤》と呼ばれているかなんとなくわかりますね。
山崎豊子の小説【花のれん】は吉本せいがモデルだそうです。



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